卒園児保護者の声2

    昨年小羊幼稚園を卒園した長男は、今では穏やかでそれなりに聞き分けの良い、学校の先生曰く「とても協調性のある」少年へと成長してくれましたが、入園前の有様といったら、人見知りや場所見知りの激しさ、強すぎる感受性で、それはそれは大変な状態でした。公園や公民館はおろかスーパーでまともに買い物をすることすらできない子、同年代の子と目も合わせられない様な子だったので、入園することへの不安感は、母親の私からすれば恐怖に近いものがありました。

   そんなうちの子の園選び、さぞや苦戦するだろうと思いきや、実は一発で決められました。それは園に見学に行った際の先生方のハートウォーミングなご対応でした。不覚にも、一言二言の言葉のやり取りでじんわり涙ぐんでしまった私。心が「この園だよ!」と感応したのだと思います。入園前は、上記の通り公園に行くことが難しかった事もあり、砂遊び、どろんこ遊びをほとんどしていなかった長男は、入園すると毎日見事に泥だらけでご帰宅。乳飲み子を抱えた中での洗濯は大変でしたが、入園前のそれを思うと、毎回その汚れが嬉しくて愛しくて、この子が今日も一日これだけ頑張ってきたのだと思うと、じんわり感涙しながら、汚れ物を抱きしめながらの手洗い作業でした。体の弱い子でもあった為、年中休んでばかりいましたが、月齢が上がるにつれて、冬でもシャツ1枚で駆け回ったり、時には真冬に裸足で遊んでいる!?心も体も丈夫にしていただきました。先生方はいつでも子どもの個性をありのまま受け止め、認めて下さります。こうでなければいけない、~せねばならない、という息苦しさを一つも感じず過ごさせて頂きました。これがどんなに有り難いことか・・。そのご対応にどれだけ救われたことか・・・。

   入学したときに長男が自ら言っていたことがあります。「幼稚園で遊んでばっかりいたから(笑)今、小学校で勉強するのが滅茶苦茶楽しいんだ!時間が決まっていて、やることが決まっていて、それがなんか面白いんだ!」と。もしかしたら、入学前にカリキュラムに縛られた生活を送っていたら、この言葉は出てこなかったのではないかな?と思っています。遊ぶべき時代に充分遊んでいる。この満たされた思いは、次の段階へと確実に生きてくるものだと身をもって感じます。空き箱やトイレットペーパーの芯等を見ると、目を輝かせ「お母さん、これもらっていい?よっしゃー!これで何か作れるぞ!」と心ときめかせる長男。」小学校1年の図工の授業では、これが見事に生かされており、「図工でやるような工作、幼稚園で、一杯自分で考えてやっていたよね!」と誇らしげです。

    また、今、世の中の「神」が物質へとり替わってしまっており、目に見えないものへの畏敬の念が大人も希薄になっております。誰もみていなければいい、見えないところだったら構わない、こんな気持ちが社会全体に蔓延しております。しかし、昔の人のいう「お天道様は見ている」この感覚を幼稚園では「イエス様」を通し、子ども達に心の在り方を説いてくださっているお蔭で、目に見えないものへの感謝の気持ちが、自然と身についていることを改めて感じる日々です。小羊幼稚園での日々を基盤に、人間力のある大人へと成長していってくれることを祈ります。